代表挨拶

GREETING FROM C.E.O.

アイビスの技術を
地球の裏側へ届ける!
という想いを実現

小学生時代には徹夜でゲーム開発

私は子供の頃から科学少年でした。

小学校に入学する前からテレビの科学番組にワクワクし、科学館に通い、小学校に入ると図書館に感動して、科学の本を読んでいました。
当時は、ロボット、ロケット、コンピュータが未来では大活躍すると想像されていて、その未来がキラキラ輝いてみえていました。

ほどなくして、マイコンブームが到来。
小学3年生のときに松下電器産業(現パナソニック)のJR-100を購入し、プログラミングを学び始めました。
当時は残念ながらプログラミングができる大人が周りにいなかったため、区の図書館に通いながらひたすら学んでいく生活でした。

没頭するあまり、小学生の高学年のころには毎週週末に徹夜をしてゲームを開発していたことを今でも鮮明に思い出します。

多くの人にソフトウェアを
使ってもらいたいという想い

大学に入るときに夢は大きくなり、将来は起業したい、自分の作ったソフトウェアを多くの人に使ってもらいたい、と思うようになっていました。そこで入学時に「達成すべき3つの目標」を決めたのです。

それは
1)情報科学のスキルを最高レベルまで上げること。
2)会社設立のための資本金を用意すること。
3)一緒に創業する仲間を見つけること。
の3つ。

その目標を達成すべく、在学中も授業のあとに睡眠時間を削って毎日趣味でのプログラムを書きまくり、情報科学の技術書を読みまくりました。その結果、いくつかの無料のゲームやツールのリリースにつながりました。

「社会人が1日8時間プログラムを書くなら自分は16時間書いてやる!」

これが当時頭に描いていた自分のミッションでした。

大学時代にインターネットの
幕開けを迎える

大学2年の時、今につながる重大な出来事が起こりました。

今でこそネットに接続する人には当たり前のWWWとブラウザ(Mosaicブラウザ)がリリースされ、”Mosaicショック”と呼ばれ世界的に大きなブームが来ました。
いわゆるインターネット元年前夜です。

もちろん私もすぐに体験しました。
当時、初めてWebブラウザを見たときにNASAのWebサイトにアクセスし「こんなに簡単に地球の裏側のコンピュータにアクセスできて画像も表示できるのか!」と感動したことを覚えています。

当時はまだ日本ではインターネットの商利用解禁前でインターネットプロバイダはなく、家庭や職場で誰もがウェブサイトにアクセスできる状態ではありませんでした。

もちろんホームページも数えるほどしかなかった時代です。
そのような限られた環境下でも、大学の電算室からインターネットにアクセスできたという環境は非常に運が良い経験をしました。

起業するつもりなので
2年で辞めます

1995年8月、日本でも一大ブームになったWindows95が発売され、家庭でもインターネットが利用できるようになりました。

当時ブログやSNS等はなく個人で情報発信する場合はホームページ用のデータとしてHTMLや画像データを手元のPCで作成し、インターネットプロバイダが用意してくれているサーバに海外製FTPソフトでアップロードして公開する形でした。

このような状況を体感した私は「これからは学生や主婦でも情報発信をする時代がやってくる!」と思い、日本製初のホームページ公開専用FTPソフトとして「小次郎」というアプリを1本800円で販売したのです。

それまでも数々無料アプリをリリースしてきていたのでファンもいましたし、インターネットのメディア関連ともコミュニケーションできました。
ソフトのマーケティング施策も功を奏し無事ヒットし、学生時代のうちに資本金を用意することができました。結果的に学生時代に資本金を用意できたため、そのまま起業しようか迷いましたが、社会人経験なしでは後から困るのではないか?会社の仕組みも知っておくべきでは?と思い企業に就職することにしました。

社員1万人の大手SIerも考えましたが、大きすぎても学べることが自分の起業の目的からずれる可能性もあると思い、社員50名のベンチャー企業に就職しました。

ベンチャー企業の最終面接での私の言葉;

「起業するつもりなので2年で辞めます」

知名度がない中での
アイビス苦闘の時代

18歳から26歳までは技術を手に入れ資本金も手に入れ、会社設立までは順風満帆でした。

ところがここからアイビスの苦闘が始まるのです。

会社を起こしてから「アイビス」という名前の知名度も信用もゼロ。
しかも経営者としても全くの新人。
何をするのにも、ものすごく苦労しました。

そこで、会社を軌道にのせるために始めたのは、システムの受託開発とIT技術者派遣でした。
アイビスを起業してすぐに中学生のころの友人だった村上が常務として会社に参画してくれていたおかげで、経営と営業を彼に教えてもらいながら生き残りを図っていきました。

彼は会社員時代に営業でトップセールスでしたし、経営も経験していましたので、受託開発とIT技術者派遣部分で利益を出していくのに大いに救いになりました。

それでも貯金から出資した資本金はあっという間に減っていき、大手銀行を回っても創業したてのため、どこもお金を貸してくれないという状況で、これが企業の信用かと非常に悔しかったのを覚えています。

村上のおかげもあり、受託開発とIT技術者派遣で少しずつ軌道にのり徐々に社員数も増えていき、会社の活動としての歯車が少しずつ回転していきました。

それまでの本当に苦労していた頃は「経営っていったい何なのか?」と自問自答していましたが、その悩みも徐々に晴れていきました。
ここで、ようやく少しずつ利益がでることで自社製品開発投資をする余裕がでてきたのです。

満を持して
ibisPaint(アイビスペイント)の開発をスタート

ibisPaintの企画・設計は2010年に私が自ら行いました。
当時は初代iPadが発売されたところでApple Pencilもなく、iPadの出荷台数もまだ少なく、スマートフォン(iPhone, Android)の普及率は10%を切る時代でフィーチャーフォン(ガラケー)メインの時代でした。

そのようなまだまだモバイルデバイス黎明期であったものの、ibisPaintの企画はストックしてあった私の「ネタ帳」から生まれたものです。

さかのぼること2年ほど前。
“ドワンゴのプラットフォーム「ニコニコ動画」で『描いてみた』というジャンルの動画が流行っている“というニュース記事を読み、製品企画のネタ帳にメモしてあったのです。

当時「描いてみた」の動画は、”絵師”がPCを購入し、ペイントソフトを購入し、筆圧対応ペンタブレットを購入し、動画録画ソフトを購入し、動画編集ソフトを購入し、何時間もかけて描いた絵を動画編集してニコニコ動画等にアップロードしている状況でした。

私はiPad用にペイントアプリを開発すればiPad以外の機材購入も動画編集も不要だろうと考えたのです。

学生時代、社会人時代の
経験が開発に活きる

また設計時にiPad用からiPhone用への移植は簡単なので最初からiPhoneで使いやすいUI(ユーザインターフェース)を設計し、それをiPadでも展開したらどうなるか?という視点で両デバイス用にUI設計をしました。

また動作速度を気にしているのでCPUベースのプログラムでなく、GPU(グラフィックプロセッシングユニット:画像処理装置)ベースで設計しました。GPUは学生時代も3Dポリゴンゲームを開発していたり、サラリーマン時代も3D CADを開発していたりしたので高いレベルで技術を持っていました。

またiPadで売れたらiPhoneやAndroidに移植しようと思っていたためプログラムのほとんどをC++で開発しました。

当時iOSではObjective-C、AndroidではJavaで開発する開発会社がほとんどの中、チャレンジングですがC++を選択しましたが、結果的には成功でした。

スマートフォンで指だけで絵を描くとなるとアプリをダウンロードしたユーザは、「こんな小さい画面で筆圧もなく指だけで絵が描けるわけない」と思う可能性が高いと推定し、アプリ起動時のタイトル画面に他のユーザが投稿した綺麗な絵を表示するようにしました。

さらにそれをタップすればタイムラプス動画(作画工程動画)が再生され、それにより「あぁ指でも描けるのかも」と思ってもらえるのではないか。と思いそのように設計しました。

きっと適応力が高いユーザが現れて美しい絵を描いてくる人が現れるはず。そして時間をかけて描いた絵をSNSにシェアしてくれる人は多いはず。という思いでした。

アプリリリース後はつねに
ユーザに耳を傾ける

リリースされるとやはり
「指の下に線が描かれるのでアナログの鉛筆のようには描いているところが見えない」
「指で描けるわけがない」
「画面が小さすぎで描けない」
というレビューが多数でした。

このようなユーザの声に耳を傾ける、という行為は今でもやり続けているのですが、結果的に使いやすいアプリに生まれ変わっていったのです。

リリースから3年ぐらいは開発投資で投下した資金を回収するのは無理なのではないかというほどのペースで累積赤字のままでしたが、PCを買わない世帯も増えていくし、スマートフォンはPCに取って代わるはずという思いで機能追加の開発を続けていきました。

それでも少しずつ利益が出るようになったのはリリースから5年ぐらい経ってから。

この頃には、初版から日英対応だけだったものが19ヶ国語対応にし、利益を海外マーケティングに振り、YouTubeでのSNSマーケティングも初め海外に注力することにしました。
YouTubeの動画も海外用の字幕をつけたり、説明書ページも19ヶ国語対応にしたりしました。

「アイビスの技術を地球の裏側へ届ける!」
を合言葉に海外への拡大にフルスロットルを踏む決断をしたのです。

モバイル無双®で世界中に
“ワォ!”を創り続ける

私は学生のころから経営やマーケティングの本もたくさん読んできましたが、特に創業者・経営者の自叙伝や伝記ものがとても好きです。

自動車メーカーの創業記、家電メーカーの創業記、コンピューターメーカーの創業記、ソフトウェア会社の創業記、Webサービス会社の創業記などどれも面白いです。米国のITベンチャーの創業記もたくさん読みました。

特に日本の電気メーカーの海外進出の成功、先輩経営者を追っかけて続々と中小企業含め海外に進出していく様がキラキラしてかっこよかったです。

一方、ソフトウェアはゲームを除いて日本のソフトウェア会社はなかなか海外進出できていないのが学生時代からとても悔しかったです。

今でも身の回りのソフトウェアは、米国製がほとんどです。TikTokなど中国製アプリで世界中に使われているソフトウェアもあります。
昔から「日本のソフトウェアこそ海外進出すべきだ」と思っています。

ソフトウェア業界でも世界で日本のプレゼンスが上がるように努力していきたいと思っています。

私たちのミッション「モバイル無双®で世界中に“ワォ!”を創り続ける」を実現したいと考えております。

高い技術とスピードのアイビス

私はコンピュータが大好きです。
これまで説明してきたように少年時代からプログラムを書き続けてきました。
大学では情報工学を専攻し技術をMAXまであげてきました。

特にコンピュータの性能を100%引き出し高速に動作させるプログラムを書くのが大好きです。
サクサク動作するソフトウェアでなければ納得できません。

経営理念の「高い技術とスピードのアイビス」のスピードにはソフトウェアの動作速度が速いというのも含まれています。

「高い技術」の部分は、高いレベルの技術者集団でありたい。
私自身、高いレベルの技術者といっしょに仕事をするのが楽いというところからきています。

また、スピードは大企業病にならず意思決定と実行に対してスピーディに行いたいという想いが入っています。

また2つ目の経営理念の「顧客第一主義」は、お客様に対し丁寧な仕事をして1つ1つ信用を積み上げていこう、というものです。

最後に3つ目の経営理念の「大きくなってもベンチャー魂」は、会社が大きくなっても保守的にならず、とれるリスクの範囲で「やったことないなら、やってみないと分からない、やってみよう!」というチャレンジ精神をいつまでも持ち続けたいという想いからです。

会社が創業者しかいないときに経営理念を決めましたが、この想いは今も変わりません。

アイビスの未来

私の少年時代から今までIT業界で何度も技術的イノベーションが起きてきました。

70年代はインベーダーゲーム、80年代はマイコンブーム、90年代はWindows、95年はインターネット、2000年は携帯電話のインターネット接続、2007年はスマートフォン。

その度にビジネスチャンスは生まれます。
変化のときほどチャンスはあるし、いつの時代も必ずチャンスはあります。

新しいことにチャレンジしていけば必ず結果はついてくると思っています。
アイビスという組織としてチャレンジ精神を持ち続けていれば必ず今後も発展していくと思っています。

私は科学技術が大好きです。
ソフトウェアテクノロジーを使って今後も人と人をつなぎ、人々が便利で楽しく豊かになるよう努めたいと思います。

技術を磨き、チームで創意工夫をし、ビジネスをグロースするために知恵を絞り、我々の技術が世界中に届き、ソフトウェア業界で世界での日本の存在感を高める努力を続けていきたいと思います。